くろしお出版 川上郁雄編 2017年
日本語教育学に「公共」という文字が付いたことに興味をひきました。公共政策という言葉は目にしたことがありますが、公共日本語教育学とは何だろうか、という素朴な疑問がわきました。日本語教育の社会における役割は何なのか、というのがテーマかなと予想とした次第です。
編者の川上郁雄氏は本書の序で「日本語教育の公共性というときの『公共性』とは、『公共事業』『公共政策』といった国レベルの行政の〈公益〉の意味ではなく、社会のあり方、人のあり方、そして社会とことば、人とことばを考えるときの言語教育としての日本語教育の視点をいいます」と記しています。そして「『日本語教育の公共性』という概念はまだ確立されていません」と指摘し、確立のためにも「議論と研究が必要である」という見方を示しています。
本書はこうした問題意識の元に、多様な専門家から公共日本語教育学の構築の可能性を探っています。また、現在実施されている日本語教育の取り組みから日本語教育の公共性とは何かを検討しています。とても幅広く奥深いテーマだと思います。
日本語教育にほんの一歩、足を踏み入れただけの私の印象ですが、これまで日本語教育というと、その名の通り、教え方や教える内容など、実践的なものが中心だったと思います。そして理論についても教える内容に関してのものは多くあります。しかし、日本語教育の社会的な位置付けについては、あまり議論されてこなかったと言いますか、そういうことが考えられてきたとしても主要テーマではなかったのかなという気がしています。
と言いますのも、少なくとも書店では日本語教育と社会性に関してまとめた本をほとんど見たことがなかったからです。「日本語」であればいろいろな視点があるでしょうが、「日本語教育」となると限られた世界になるからかもしれません。これはあくまでも私の日本語教育に関する現時点での知見ですので、まだまだ理解が浅い点やよく知らない部分があることをご承知いただければと思います。
しかしながら日本語教育の公共性という概念は確立されていないということですから、あながち私の見解はまったく的外れではないかと思います。また、この本が出版された背景について、2015年に早稲田大学で実施されたシンポジウムで「公共日本語教育学の構築は可能か」というテーマで議論したことが契機となったようですから、それまではこのようなテーマは出てこなかったのかもしれません。
本書には、その後も研究を進めて議論を情報発信したとあります。この本の発行年が2017年ですので、その後議論がどのように展開されているのか、一定の見解が出てきたのか興味深いです。とはいえ、2024年時点で公共日本語教育学に関してネットで検索しても目ぼしい内容はありません。本書がトップにあがってきます(2024年4月現在)。
そうすると公共日本語教育学は未開拓のまま研究が途切れてしまったのでしょうか。ちょっと不思議です。知的好奇心を掻き立てるテーマだと思いますが、さまざまな分野が関係してくるので、漠としている部分もあります。もっと関連文献や論文などを探して、個人的に調べて見たいと思います。