新曜社 河路由佳 2011年
この本はいつ購入したのか覚えていないのですが、書棚に並べてありました。1度も読んでおりませんでした。買ったことで満足してしまったのですね(苦笑)。それなりに高額で384ページもある分厚い本です。ここ2年前ぐらいから幕末から昭和にかけて歴史・戦争に関する本を意識的に読んでいるので、もしかしたら「戦争」と「日本語教育」という2つのテーマがドンピシャにはまり、購入して「いつかは読もう」ととっておいたのかもしれません(当時の自分の思考を推測しています…)。そしてその日がいよいよ来たのでした。
本書では戦前の昭和初期頃から終戦まで、国際文化事業としての日本語教育の変遷を取り上げています。当初は言語民族主義的な形で日本語教育の普及を目指していましたが、戦争がだんだん佳境に入っていく中で言語帝国主義的な日本語教育の普及に変わっていったようです。主に日本に来た留学生に教える日本語教育の方針や内容などが記されていたのですが、軍国主義が強まった時でも一定の自由が確保されていたのは意外でした。
留学生として迎えいれる国は当初、欧米系の学生もいたのですが、戦争が激しくなるにつれて大東亜共栄圏に入っているアジアの学生を対象に指導していました。この時代に日本に来るということは、いろいろな意味ですごいことだと思います。その学生たちが戦後の日本との交流で重要な役割を果たしたことも記載してありました。複雑な国際関係にあって国が対立したり戦火を交えていたりしたとしても、個人と個人とのつながりは別であるということを改めて認識し、国際交流の重要性を実感しました。
戦争への体制が強化される中で、日本語教育に軍国主義的な要素が取り入ってきましたが、あまり緊迫感を感じませんでした。「それぐらいのことは当時の日本であればやるだろう」といった思いがあったからです。一方、日本が侵攻していた海外の国・地域での日本語教育であれば、日本軍によるもっと先鋭的で威圧的な指導があったのかもしれないと思いました(でも親日国であるパラオは違うかもしれませんね)。本書には記載されていないので、そのあたりは憶測でしかありません。
ページ数があり専門的な内容のほか、他の本と併読しながら読み進めたので、読了には1~2カ月かかったかと思います。当時の日本語教育に関する事実を丹念に紡いでおり、今後もし私が専門的な分野を一定量でまとめる機会があったら大いに参考になると思いました。
しかし、それと面白いと思うことは別かもしません。個人的に思い入れを持って読めたのは「はじめに」「序章 『国際文化事業』以前の日本語教育」「終章 新しい理念の構築に向けて」「あとがき」といった部分でした。終章には執筆者の問題意識が込められていたと思いますが、展開が唐突な感じもしました。とはいえ日本語教育の普及の裏に見え隠れするナショナリズム的な考え方から今後の日本語教育をどうしていくか、日本語の多様性を認めながら「正しい日本語」をどうしていくかなど、考えさせられることがいくつもありました。終章の内容をより深堀すれば、これだけでも1冊の本がまとまる内容です。
本書について十分に読み解いたとは言えず、読後の思いついたところをまとめました。今後何度か読み返せば、さらに理解が進み、日本語教育に関する思考が深まると思います。しかし、なかなかの大作ですので何度も読み直せるかというと、正直自信がありません(笑)。国際文化交流の歴史で参考にしたいときに手に取ったり、日本語教育に関する取り組み勉強や取り組みの節目節目に読み進めたりするのがいいかもしれません。何はともあれ重厚な本書を読み終えることができて満足しています。