『日本語教育学序説』

蒲谷宏 細川英雄 2012年 朝倉書店

日本語教育の概説的な本を読もうと、手に取ったのが本書でした。「序説」というぐらいですから基礎的な内容かなと思いました。しかし、本質的な問題を記述しており、結論から言うと十分に理解できず、消化不良で終わりました。それゆえ、今回は理解できたところやまたは理解できずとも「こういった意味なんだろう」というところをつまみ食い的に記したいと思います。

本書の第1部ではまず「日本語を教える」とは何かを三つの切り口で考察しています。一つ目が言語要素としての音声・文字・語彙・文法などを対象として考える場合です。二つ目が一つ目の要素に対して、その機能と場面の関係を注目するアプローチです。三つ目が言語をコミュニケーション主体のコミュニケーション行為そのものと捉え(この言い回しがややこしいですね)、コミュニケーション主体としての学習者が主体的に学ぶという教育観・学習観の基に取り組む考えです。

筆者は三つ目の立場をとって論を進めており、日本語教育の「実践=研究」という図式を示しています。さらに「コミュニケーション行為」というものに考察を深めています。コミュニケーション主体が「伝え合う」ことを「積み重ねる」ことが言語教育の対象となる「言語」であるとし、それが筆者の言語教育観であると話を進めています。

また日本語教育と日本語研究の関係について、コミュニケーション行為を教育することが日本語教育であり、コミュニケーション行為を研究することが日本語研究であるとしています。そこで事例として「待遇コミュニケーション」の教育と研究を取り上げています。こちらについては著者の蒲谷宏氏の論が展開されているものと思われます。

第2部は「実践することと研究すること」というテーマで論が進んでいきます。この中で実践のための研究で重要なのは「具体的な教室活動を通して、自分自身がどのような教室をめざすのかを問う問題意識なのではないか」と指摘しています。

そこで実践と研究を統合した実践のための研究について「自己評価的な研究」と「質的な研究」を挙げます。さらに教室活動を重視する日本語教師のすべきこととして

①学習者の表現活動を活性化する教室をどのように設計できるか

②設計した教室活動空間をどのように具体化できるか

③具体化された実際の教室空間での学習者の活動をどのようにサポートできるか

を示しています。

とまあ、いろいろあるのですが、概略をまとめるだけですと楽しくなくなりますので、この辺でやめたいと思います(苦笑)。ただ本書について思ったのが、これまでの日本語教育では、教えることの「どうやって」に偏重している一方、本質的に「なぜ」このことを教えるのかという問いが欠けているのではないか、という問題提起をしているように思います。

本書は3部構成になっており、最後の第3部で大学院の教授である著者2人と大学院博士課程の2人が対談形式でのインタビューをまとめています。正直、よく理解できませんでした。大学院生の問いに、分かるように回答しているというより、そこで論を展開してぐるぐる回っているような…。まだまだ私の勉強が足りないのかもしれません。日本語教育研究の一端を知る上で参考になりました。

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