蒲谷宏 細川英雄 朝倉書店 2012年
読み終わってからも全く気が付きませんでした。すでに読んでいた本だとは。2023年3月のブログに、読んだ感想をアップしていました。それにも関わらず初めて読んだ本だと思っていました。大変驚きました。でも、今回もブログにアップしたいと思います。1回目と2回目の読後感の違いを検証したいと思ったからです。
なぜ読んだのが2回目だと気が付いたかと言えば、ブログに本書の内容をまとめようとしてデータを作成しようと思ったところ、同じ題名のデータがすでにあったからです。いやー、そんなことでいいのかと思われる方もいるかもしれません。私も、そんなことでいいのかと思いました。
ただ、前回の読書記録を見ると、少なくとも面白いとは思っていませんでした。本の内容がよく分からなかった、というのが正直なところです。ですが、今回は面白いと思いました。もちろんまだまだ理解が及ばないところばかりです。しかし、1年半近くたって読むと、それなりに理解が進んでいたことがありました。
著者である蒲谷氏と細川氏のうち細川氏については、ネット等で日本語教育において実践=研究という持論を展開している人だと言う認識がありました。もしかしたら前回読んだ時のイメージが刷り込まれていたのかもしれませんが、本書のことは全く頭の中にありませんでした。今回はその細川氏の言わんとするところが前回よりも分かった気がするのです。
平たく言えば、文法とか語彙をどう教えるのかといったテクニカルなこと問題ではなく、なぜ教えるのかと問い続けることが重要ではないか、という考えがあるということです。そしてその考えは常に実践をしながら問い続けていくという終わりのない答えを探していくことになります。それは教育者の姿の一つではないかと思われます。
こうして書いていてもまだ把握しきっていないことが自分でも分かります(笑)。しかし、前回のブログでは本の要約を試みており、そのことに頭を使っていたため文章としては汲々としていました。間違っていないが滑らかではない、という感じです。しかし、今回は多少の誤解や認識不足があったとしても、自らの言葉で書けていることが大きな点です。本書について自分の理解が進んだことに少し自信をもったからだと言えます。
蒲谷氏は「言語=コミュニケーション行為」という定義で論じていきます。以前であれば車のサイドブレーキをしたままアクセルを踏んでいるような読みにくさを感じていましたが、今回は蒲谷氏の論に乗っかりながら、そのまま読み進めることができました。また
著者2人と大学院博士課程の2人が対談形式でのインタビューでは、前回は理解できずに消化不良でしたが、今回は大学院生の質問の意味などが理解でき、共感できました。
現時点では、著者2人の主張が私の血肉となって何か私が弁を論じるところにはまだまだ至っておりません。しかし改めて読んでみると、私なりに理解が進んだところがあってうれしくなりました。歩みは遅いかもしれませんが、前進を続けていきます。
全く意図せず同じ本を読み直したことになりましたが、いい気付きになりました。もし3回目があるとしたら、さすがに気が付かないことはないでしょう。でも、何かのタイミングでまた読んでみたいと思います。そうしたらまた新たな発見や気付きがあるかもしれないですね。