『複言語・複文化主義とは何か』

くろしお出版 細川英雄 西山教行編 2010年

日本語教育能力検定試験を勉強しているなかで知った言葉に「複言語」「複文化主義」があります。複言語は多言語と異なり、個人が複数の言葉を用いてコミュニケーションをとること、というような漠然としたイメージを持っていました。同書では、15人の研究者が複言語・複文化主義について、それぞれの担当部分から言及しています。読んで腹落ちしたわけではないのですが、気付きがありました。

ヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR)が2001年に欧州評議会によって発表され、外国語学習者の習得状況・言語運用能力を示す共通の基準として設けられました。それと関連して複言語・複文化主義が欧州で進められてきたようです。2001年の発表から本書の出版まで10年もたっていないので、まだ複言語・複文化主義についての考え方が定まっておらず結構、議論が新しいのではという印象を持ちました。

本書では、CEFRが多言語主義について「言語の社会的側面に着目する思想」と定義し、これに対して複言語主義とは「個人の言語体験に着目するもので、個人においては複数の言語体験が個別に存在するのではなく、それらが相互関係を築き、相互作用の元に共存する事実を指摘する」と記述しています。何となく理解できるのですが、自分の言葉で説明するにはまだ力不足です。

今回の読書は、複言語・複文化主義について雰囲気を味わったという感じでしょうか。もっと多くの関連する論文などを読めば理解が進むかもしれません。今の理解度で文章をまとめるのはどうか、間違った認識をしているのではないか、とも思ったのですが、ブログだからこそ今の段階で理解していることを綴ってもいいのではないかと思い至りました。書くことによって分かっていること分かっていないことが整理されますし、後から振り返った時に「あの時点ではこういう理解をしていたんだ」という記録にもなります。

逆に考えると、今回のブログで記載するまで複言語・複文化主義という言葉は読んだことはあっても書いたことはほぼありませんでした。まして個人の文章という意味では初めてです!

あらためて複言語主義について日本語教育関連の用語集を見てみましたが、分かりやすくするためか、複言語主義の本質が記載されていないのではと思いました。用語集の方が新しいので、それが一般的な解釈なのかなとも思ったところです。いずれにしても日本語教育では複言語・複文化主義は重要なキーワードと思いますので、機会を見て、より詳しく勉強してみようと思います。

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