ボランティアを考える

 外国人に日本語を教える上で、ボランティアは大きな役割を占めていると思います。国や自治体が日本で生活する外国人に、なかなかきめ細やかな日本語教育を施すことができない中で、ボランティアに支えられて成り立っている部分は多いのではないしょうか。

学生時代に参加

 私は大学生の頃と社会人になってから数年、東京都内で土曜日の午前、外国人に日本語を教えるボランティア団体に参加していました。中国人や韓国人などを中心にアジア人が多かった気がしますが、欧米人も数人いたと思います。全部で10人-20人程度ではないでしょうか。ボランティアは20代から30代の女性が多かったと思います。男性は年配の方が何人かと当時20代の私ぐらいの年代が2、3人いたかどうか。リーダーは50-60代の女性でした。はっきり言って記憶があいまいで、おぼろげに覚えていることを記しています。

外国人と日常会話

 今思えば、行ったり行かなかったりと、随分不真面目なボランティアでした。月-金曜日まで働いていたので、土曜日の午前はゆっくり休みたかったのですね。行ったらそれなりに楽しいのですが、いまいち、充実感に欠けていました。

 当時、私がボランティアとして行っていたのは、マンツーマンで日常会話をしていました。日本と外国との違い、食べ物や遊びなどたわいのない内容だったと思います。相手の知識や日本語の能力に合わせて会話していました。中国人とは漢字を使いながら筆談をしたような気もします。みんなでピクニック(?)に行ったこともあったと思います。

発展性がなかったか

 当時は外国人と交流することを楽しんでいました。以前にも書きましたが、学生時代に海外を放浪した時、いろいろな考え方や生き方があることを知り、その違いを面白いと思ったからです。

 しかし、ボランティアでの活動はそれ以上でもそれ以下でもなく発展性がなかった。私自身が日本語を教えるだけの専門的な知識がなかったほか、継続的に参加していないこともあり、その場だけでの関係に終わっていた気がします。他のボランティアの人とも深く付き合うこうこともありませんでした。 

 もっと活動を面白くしようとコミットしていたら。今ならそう思えますが、おそらく当時は本業の仕事のことで頭がいっぱいで、ボランティア活動を企画し、盛り上げていくほどの思いや気力に欠けていたのだと思います。

意外に見当たらない!

 今、日本語教師として一歩を踏み出そうとしていますが、職にありつくのはハードルが高いとみています(前のブログに執筆しました)。ただ、このまま“宝の持ち腐れ”状態では、日本語教育に関する知識も意欲もどんどん失われていくので、ボランティアをしようとネットで探してみました。

 しかし、新型コロナウイルスが影響し、私が住んでいる自治体が運営しているボランティアは休眠状態でした。有志が運営しているボランティア団体は、意外に希望に沿うものがありません。というのも、平日に働いているので土・日曜日でのボランティアを希望しているのですが、土・日に活動するボランティア団体がほとんどないのです。もしかしたら探し方が悪いのかもしれませんが、「これぞ」というのが見当たりませんでした。日本語教育に関わろうとして、また大きな壁にぶち当たってしまいました。

ボランティアと日本語教育

 ボランティアを探して驚いたことの一つは、日本語教育能力検定試験の合格を参加要件にあげている運営団体があったことです。なかなかハードルが高い。幸い、私は合格したばかりなので、つい最近、参加要件を得たことになりますが…。

 日本語教育の世界では、職業として食べていくことができないため、本業は別の仕事に就き、ボランティアに流れている人たちが一定数いる可能性があります。さらに日本語ボランティアは外国人と交流できるということもあり、一般の人でも比較的容易に集まり、参加していると思います。その結果、日本語教育の受け皿となるボランティアはかなりの数がいるのではないでしょうか。

 このあたりの事情が、日本語教育を職業としていこうとする人にマイナスに働いている可能性があります。例えば、自治体などはお金をかけずに日本語ボランティアを集めることができれば、外国人の日本語教育を支援できるのではないでしょうか。日本語教育にお金と時間をかけて学んだ「プロフェッショナル」でなくても献身的なボランティアを募集したらそれなりの人が集まり、活動できてしまうのかもしれません。また、それほど「プロフェッショナル」が求められていないかのかもしれません。

 このあたりは私の推論でしかないのですが、日本語教師が食べられない一つの要因になっている気がします。もちろんボランティアを否定する気はまったくありません。現実問題として、ボランティアがいなければ成り立たない活動はたくさんあると思います。

サバイバル能力を身に付ける

 こうした中で日本語教師の志望者はどうするか。先ほども記載しましたが、本業は別の仕事にしておいてボランティアとして貢献するか。それとも「食えない」と言われている状況をさまざまに工夫して「食べられる」状況に改善したり、大学院などで学んでより専門性を高めてその世界に身を投じたりするか。こうやって考えていくと、何のために日本語教師をやるのか、という根本的な問題に突き当たりますね。「やりがい」と「経済的安定」を天秤にかけながら、思い悩む。そんな状況が浮かんできます。

 私自身は結局、「やりがい」を取るつもりです。ですので、経済的な側面をどうするか。日本語教師をしながら生きていけるだけのサバイバル能力を身に付ける必要があると思っています。

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