私は長野県出身ですが、松代城の存在については、ほとんど意識したことがなくありませんでした。誰の居城かもイメージが湧きませんでしたし、そもそも「松代城ってあったんだ」という感じでした。しかし、行ってみてびっくりです。城跡とはいえ、そこからはかつて大きな立派な建物が建っていたことを想像するに難くない広大な遺構がありました。
松代城は平城で、もともとは海津城と呼ばれていたようです。永禄3年(1560)頃、武田信玄が北信濃を支配するため山本勘助に命じて築城したとされています。千曲川の流れを外堀とする天然の要塞で、武田信玄と上杉謙信が覇権を競った川中島の戦いの舞台にもなりました。信玄の死後、城主はさまざまに変わりましたが、元和8年(1622)、真田信之が城主となり、以後、真田氏の居城となりました。明治時代に入って廃城になり建物が壊されましたが、2004年に櫓門、木橋、石垣、土塁、堀などが復元されました。現在は太鼓門前橋が2024年3月まで架け替え工事中です。
ちょうど太鼓門前橋の工事期間中に行ったので、工事用のフェンスがあり正面からは近寄れないようになっていました。しかし、このつくりを見た時、衝撃を受けました。今思えば、大きな立派な屋敷の跡に思えたということでしょうか。上田城を見た後だったので、その違いも際立ちました。城内のスペースも広々としているように感じましたが、天守がないためそう感じたのかもしれません。
今回、松代城を初めて訪れましたが、松代近辺には歴史的な遺構が数多くあることに驚きました。長野市といえば善光寺が全国的に有名で門前町のイメージが強くあります。しかし、松代近辺は城下町だったということです。今回は車で現地に行きましたが、公共交通機関を使う場合はバスしかないので少し不便です。松代城を通じて松代界隈の歴史に興味が湧きましたし(近くには松代大本営跡があります)、長野市における松代の位置付けも関心が高まりました。
【松代城】
所在地:長野県長野市松代町松代18-2
アクセス:最寄り駅 JR長野駅から松代行きバス約30分で松代駅下車。徒歩5分