陸奥国一宮 東北鎮護で庶民の崇敬を集める
鹽竈神社は陸奥国一宮であり、古くから朝廷や庶民の崇敬を集めていた神社です。仙台周辺を観光しようと思った時、目に留まったので参拝することにしました。何よりも「鹽竈」といういかめしい字面が、その歴史と重みを感じさせてくれます。地元では「しおがまさま」として親しまれているようです。
「鹽」は「塩」だが、「竈」は「釜」ではない?
初めて鹽竈神社の文字を見た時、何と難しい文字だと思いました。文字の由来をたどっていくとなかなか興味深い話があります。
鹽竈神社のある宮城県塩竃市は、「しお」を常用漢字の「塩」を使い、「がま」は「竈」を使っています。鹽は「塩」の旧字体です。一方、「竈」は料理のために火をおこす設備のことを指すようです。「竈」と「釜」は本来の字義が異なることから、塩竃市は「釜」ではなく「竈」の字を使っています。ただ、塩釜市と記載があっても間違いではないようです。
塩竃市によると、もともと海水を煮て塩をつくるかまどのことを「塩竃」といっていました。地名ではなく製塩用のかまどのことを指していたのです。昔は日本各地の砂浜に塩竈がありましたが、宮城県塩竃市はそのまま地名として残ったようです。
江戸時代は伊達家が大神主
創建の年代は定かではありませんが、起源は奈良時代以前にさかのぼります。武甕槌神と経津主神が陸奥国を平定した時、両神を道案内した塩土老翁神が塩竈にとどまり、人々に漁業や製塩法を教えたと伝えられています。ですので祭神は、塩土老翁神、武甕槌神、経津主神の3柱です。江戸時代には陸奥国一帯を治めていた伊達家の尊崇が厚く、伊達政宗以降の歴代藩主は全て大神主として奉仕してきました。そのため江戸時代には宮司家が存在せず、実質祭祀を行っていた禰宜家がいました。
二つの拝殿
表参道からの急な階段とその上に建っている大きな門が印象的です。境内には二つの大きな拝殿がありました。後から調べて知りましたが、門から入って正面が左右宮で、右手にあるのが別宮です。別宮に塩土老翁神を、左右宮に武甕槌神と経津主神を祀っています。これは意外な感じがしました。帰りは東参道から帰りましたが、緑が多く小高い場所でしたので楽しんで歩ける道でした。
【鹽竈神社】
所在地:宮城県塩竃市一森山1-1
アクセス:JR仙石線 本塩釜駅より表参道(表坂)の石鳥居まで徒歩約15分